親父に憧れてなったトラック運転手!運転中、親父のトラックとすれ違い、感極まって男泣き!

運転手になったきっかけは親父でした。
自分が産まれた時から親父はトラックの運転手をしていて、初めて横に乗ったのは5歳の時でした。
長距離輸送専門だった親父の影響もあり、「日本全国をトラックで走ってみたい!」と思い出したのが小学校の中学年。
それから何回かトラックに乗るうちにカッコよく見えてきて、小学校の卒業アルバムにある【将来の夢】の欄がトラックの運転手になりました。
1.映画「トラック野郎」に憧れて
もう一つのきっかけは映画【トラック野郎】です。
日本全国津々浦々を走る長距離トラックの話で、菅原文太さんと愛川欽也さんが主役で、いく先々でライバルと出会い、また、恋に落ちたりと、2人が各地で起こす珍道中が描かれています。
運送業界に興味がある方は、1度観ていただきたいです。
2.高校を卒業後、運送会社に就職
18歳で高校を卒業して、2ヶ月後の5月にはトラックに乗っていました。
最初に勤めた会社は2トン車や4トン車で、食品を集荷先だったり会社の1階部分が分化場になっていたので、そちらで積み込み、スーパーやセンターにおろしたりしていました。
入社した当初、私が担当していたのは、
- 会社で積み込み
- 午前中に県内に20件ほど納品。
- 午後からは集荷業務が開始
- 1件目の集荷先からからほど近いコンビニで集荷時間まで休憩。
バタバタと3件から多い時で6件集荷して会社に帰り、行先ごとに荷物をおろしながら仕分けをして、1日の業務が終了するという流れの仕事をしていました。
入社してから、4日程は先輩ドライバーさんに
- 積み込みの仕方
- 配達の場所
- 順番
- 配達先までの順路
- 集荷先の詳細
など横乗りで1日の流れを教えてもらいました。
ちなみに、横乗りとは助手席に私が乗り、先輩の仕事を見たり聞いたりしながら覚えていく期間のことを言います。
2.新人時代の苦い思い出
ある程度流れや方法を覚えたら、実際に運転してみるのが主流です。
3日目に実際に運転させてもらったのですが、2トン車とは言え、初めてトラックを運転することになり、心臓はバクバクで、手汗もすごかったのを思い出します。
そんな初々しい私に事件が起こります。
会社で積み込みをした後、公道に出て信号を右折すると、道幅が狭く、さらに電信柱のある道路に入ってしまいました。
タイミングが悪いことに、対向から4トン車が来てしまい、電信柱の手前で止まれば良いものを、そのまま直進した結果、左ミラーが電信柱にクリーンヒット!
先輩は助手席で奇声をあげるほどビックリされていましたが、すぐに窓を開けて曲がってしまったミラーの角度をなおしてくれました。
3.仕事は慣れたが減給で退職を決意
最初は、バタバタしていましたが、人間は利口なもので慣れていきます。
半年後には40代の人が入社して、私の走っていた工程をやってもらうことになり、今度は教える側になりました。
覚えてもらったら、私は今まで乗っていた2トン車の倍長い4トン車に乗務し、別のコースを任されることになり、また、別の先輩と2日ほど横乗りして仕事を覚えました。
4トン車になると、今まで経験してこなかったフォークリフトでのパレット(荷物を乗せる荷役台のこと)積み、パレットおろしを覚えることになります。
そのほかにも、トラックの点検、荷役の知識を教えてもらいましたが、しばらくして退職することになりました。
退職に至った理由は、仕事の内容は変わらないのに、3から5万円ほど減給になったので、割りに合わないと思ったからでした。
4.4t車で長距離を経験
次の会社では長距離輸送を担当しました。
4トン車に業務し、段ボール箱のケース物、パレットに積んであるパレット物、一斗缶やドラム缶、建築現場に使う鉄骨や断熱材など、本当に多種多様のものを輸送しました。
私は、関東の運送会社に在籍しているので、長距離となると東は岩手、山形、西は大阪からが長距離輸送になります。距離にすると450〜500キロくらいでしょうか。
ただ、東北地方は荷物を持っていくことは出来ても、帰り荷が取りずらかったので、東北に行くときは、帰りが決まっている状態でないと、仕事を受けていませんでした。
何も積まずに関東まで戻ってくることになるので、売り上げがないですし、燃料代の無駄になるからです。なので私は、西の方に輸送することがほとんどでした。
少しずつ距離を伸ばし経験を積む
とは言っても、長距離輸送の経験がない19歳、20歳の若造をいきなり長距離に出してもらえるわけもなく、最初は関東近県の配送から経験を積み、徐々に距離を伸ばしていく形でした。
横浜に朝着で荷物をおろして、会社に戻り洗車をしていると「明日着で、岐阜県の中津川市があるから行ってみるか?」と配車担当の人から言われました。
今ではたかが中津川ですが、初めて木曽路を越えて行く当時の私には遠く感じましたね。
距離にして250〜280キロ。
ワクワクしながら夕方から荷物を積んだのを思い出します。
そこからは、名古屋、大阪、神戸、遠方で福岡に行きながら、経験を積みました。
5.一生忘れられない広島県での出来事
ある日、私が翌日着の山口県に荷物をおろして「岡山県に帰りの荷物があるから…。」と配車の人から連絡があり、向かっていると見覚えのあるトラックが前から来ました。
なんと!
そのトラックは、親父でした。
親父に相談しながら山口に行ったので、親父も気づいたらしく、すれ違い様にクラクションで合図をしてくれました。
後から話を聞くと、翌日の宮崎県おろしに向かっていたそうです。
私は感極まり泣きながら岡山に向かっていました。
思い出せば、小学生の頃、親父がトラックに乗ってるのに憧れて、トラック運転手になった。その自分が運転しているトラックで遠く離れた広島県で親父とすれ違う。
幼い頃から背中を追いかけてきた頃から現在に至るまで、
- 辛かったことから楽しかったこと
- 親父に教えてもらったトラックのこと
- 初めての給料を自分のことのように喜んでくれたこと
- 互いに仕事のことで語り合ったこと
まるで走馬灯のように頭の中をよぎり、あふれ出る涙を止めることはできませんでした。
親父とは、実家に帰って顔を合わせることは何度かあります。
けれど、プロとして仕事をしているときに顔を合わせたのは初めてでした。
大袈裟かもしれませんが、例えるならプロ野球選手に憧れた野球少年の目の前に、プロ野球選手が現れて一緒に野球してるのと同じくらいの感動です。
今でも鮮明にあの時のことは覚えています。
6.大型免許を取得し、ステップアップ!
私が所属していた運送会社は高速代が目的地別に決まっていて、高速道路を使わない場合、浮いた高速代は給料に反映されていました。
ですが、私は会社を信用して計算せずに任せていたら、仲の良かった事務の人に「高速代、頑張って浮かしてるのに会社に騙されてるよ。」と言われ、次の月の高速代を計算したら、¥25000も騙されて、支払われていませんでした。
計算していなかった私にも落ち度はありますが、もう会社を信用できなくなってしまい、結局、退職しました。
大型車で長距離にチャレンジ
退職してから、2週間、時間があったので大型車の免許を取りに行きました。
ただ大型免許を取得したとはいえ、未経験で大型車に乗せてくれる会社はなく苦労しました。
しかし、あきらめずに何社も問い合わせをしていると、某宅配会社の下請けをしている運送会社から採用の連絡があり、夢の大型車デビューができました。
仕事内容は、夕方に荷物を積んで、関東圏のセンターでおろし、忙しい時は近くのセンターで積み込む。会社に向かいがてら、センターにおろして業務終了という流れでした。
いわゆる夜間の路線便ですね。
荷台の大きさを嫌でも覚えるので、大型車未経験の私にはうってつけでした。
それから、結婚して子供ができ「もっと稼ぎたい!」と思って、長距離で青果物を輸送したり、牽引免許を取得してキャリアカーで自動車を積んだりしました。
まとめ
トラック運転手になり、様々な荷物を輸送してきましたが、”運転”が1番楽しいですね。様々な都道府県に行き、街並みに触れ合う。トラック運転手の特権のようなものです。
…とはいえ、楽しいことばかりではありません。
朝早く出勤して、夜遅くに帰り、また朝早くに出勤。拘束時間が長いので、休みの日は疲れて寝て終わり。長距離をすれば1週間〜長くて3週間家に帰らない時もありました。
ただ、遊んでる暇がなかったので、お金は貯まりますし、好きだから続いているのだと思います。
親父の背中に憧れて、トラック運転手になりましたが、もしも、子供が「トラックに乗りたい!」と言い出したら「やめとけ!」と言ってしまうと思います。
たぶん親父も同じ気持ちだったと思いますが、それでも何も言わずにトラック運転手になることに同意してくれたことには、感謝でいっぱいです。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。